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關於
1992年出生
畢業於京都造形藝術大學主修日本畫
在繪畫的時候(我總是有這種感覺,與起說我在畫畫,我更像是在寫文章),並沒有明確地描繪出什麼(像是思想或者是,現在或未來你必須做的事情)不是描繪特定的情景,幾乎沒有特別想要傳達的事物。
在那些空白的畫布或紙張上,就像從地底挖掘出化石一樣,或者像是突然間找到了很久以前遺失的東西一樣,我在尋找著那些還看不見的畫面。我感受到有一位繪畫的神,或者是那些希望被傳達的靈魂等的存在,它們引導我將它們記錄下來。我的畫作就像是一首長詩,一個故事。畫作不同於文字或影像,一旦畫下,就在那時間裡停止了,但我總是希望如果這幅畫有個延續的部分就好了。
即使有人看了我的畫,甚至親手拿起了它,我也無法深入影響那個人的生活。在那個人漫長的人生中,每天早晨到來,夜晚降臨,或是笑或是哭,又或著是這兩者都不是的日常裡,在那裡陪伴著,並非給予什麼。我希望它們只是一幅能夠陪伴的畫。
1992年生まれ
京都造形芸術大学日本画専攻卒業
絵を書いている(私は絵を描いているというよりかは文章を書いているような気持ちになることが多くていつもこの表記を使っています)時に明確な何か(思想や、今や未来に何かあなたがしなくてはならないということ)を描写している、したいという気持ちはほとんどありません。私に何か伝えたいということはほとんどありません。
まだ何も書かれていないキャンバスや紙がそこにあってその中にあるまだ見えない絵を、地面から化石を掘るように、、、ずっと昔に無くした無くし物を不意に見つけるように、絵を見つけています。絵の神様もしくは伝えたいと願う霊等がいてそれを写しとっている感覚があります。私の絵は長い一つの詩、物語です。絵は文章や映像ではないので書いたらもうそこで止まっていますがその絵の続きがあればいいなといつも思っています。
私の絵を見た人がいて、絵を手に取った人がいたとして、その人の人生に私が深く関わることはできません。その人の長い人生の、何度も朝がきて夜が来て笑ったり泣いたりその両方でもない日々の中にいつも寄り添う、何か与えるわけでもない、寄り添えるような絵になればそれはとても素敵な事だと思います。
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展覽
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2023
【cross cross x x】curated by Hiromi & Rinin ,十方藝術空間 ,台北市 ,台灣
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